2002年にマイクを握り始めたギャラン
36歳になった今、あの時の変わらない情熱を形に残そうと動き出した。
ラッパーを気取る以上、支えてくれた人や影響された人の事をないがしろにするわけにはいかない。
例え今連絡を取り合っていなくとも、繋がりというのは変わらないものだと信じている。
2002年、高校を留年し4年目に迎えた3年生の頃。
部活をやっていたので、同学年が去った後の僕の事は、後輩達が支えてくれていた。
しかし僕としては、あまり後輩達に気を使って欲しくないので、なるべくしゃしゃり出ないように努めていたつもり。
部活以外、例えば授業中なんかは、図書室で借りてきた本をこっそり読んだり、机に突っ伏しひたすら寝ていた。
移動教室なんかの時は、クラスメイトが起こしてくれたもんだ。
そんな学校への通学には、京阪電車を乗り継いで通っていた。
当時毎朝必ず聞いていたCDがある。
それが、BEATZ GALAXYのアルバムだ。
今なお京都アンダーグランドの孤高の存在として輝き続けるMOTO acceが当時結成していたラップグループ。
このアルバムを手にした誰よりも僕が一番聞き込んでいるんじゃないかと思うほど毎日聴いていた。
もちろん今も大切にしているCDの1つ。
僕のラップスタイルやHIPHOPに対する姿勢にはそこまで反映されていないかもしれないが、間違いなく影響を受けた名盤である。
2021年、再始動を始めるにあたり原点回帰をしている中、必然的にこのアルバムまで巻き戻しが掛かったというわけ。
今なお更新中のBONG BROS
本来は、過去に所属していた団体や何かの名前を出す事はかっこ悪いと思っているが、今日はあえて言わせてもらう。
当時STEEZという三条河原町のストリートショップで働いていた僕は、DJ COKEが率いるBLUE BERRY RECODZというレーベルに所属していた。
結果抜けさせて頂いたわけだが、ちゃんとケジメを付けてきたので今がある。
いざ辞める際は『これからの事なんてこれまで味わってきた事に比べたらなんて事はないと思うよ。ギャラン。よくやってきたな。これから頑張れよ!』って言ってくれたのを思い出す。
そこで経験させてもらった事は僕の人生において大きな糧となっているがその話はまた今度の機会にしよう。
所属しているレーベルや集団、団体、組織、クルーを問わず、京都HIPHOPに携わっている以上、必ず通る道があると思う。
もちろん他にも凄い人たちは沢山いるけれど、やっぱこのあたり。
- R-RATED(RYOZO君が立ち上げたRUFF NECKやGHETTO SUPER STARを擁するレーベル)
- BONG BROS(京都、滋賀の同世代を中心としたMC、DJ、TRACK MAKERからなるドープ・ヒップホップ集団)
避けては通れないというより、遊びにいくクラブには必ずこれらの面々が居た。
必然的にストリートマナーを学ばせてくれるというわけ。
実際に会わずとも、横繋がりで必ず辿り着くことが出来るような人たちだ。
活躍の場を東京に移したりしている人もいるようだが、BONG BROSに至っては今も変わらず京都を根城に草の根活動を続けている。
そんなBONG BROSの変わらない熱量を20年の時を経て再度認識したわけである。
続けるというのも1つのテーマなのだ。
久しぶりに覗いたボングブロスのホームページでは懐かしい顔ぶれが「カッコいいまま」で表現を続けていた。
人との関わり合いが得意ではない僕がこんなことを言っていると嫉妬や羨望だと勘違いをされそうだけど、同世代が今も変わらず続けているという事を知って安心出来たという話。
それどころか、自分たちの信念や哲学をさらに昇華させて再現している。
こんなカッコいいことは滅多にお目にかかれるものではない。
そんなアーティストたちが製作したアルバムや商品は、繋がりがあろうが基本的には金を出して買うものだと思っている。
とかいいながら、当時買わなかったBONG BROSのファーストをここにきてポチッた俺。届くのが楽しみだ。
必ず繋がる閉鎖的な京都、滋賀のHIPHOP
京都の人から言わせれば、滋賀と一緒にするな!と怒られるかもしれないが、ほぼニアな関係なんで一緒にさせてもらっている。
※遊んでいた場所や住んでいる地域的に言えば・・・判るやつだけ分かればそれでいい。
大昔にアルティメットMCバトルの地区予選が四条木屋町のワールドで行なわれた。
参加した僕は、開幕戦で大和狼のクリスタルと対戦したわけだが、彼がバトル中に挙げている兄弟のTURKEYはBONGBROSの一員だ。
そんな大和狼といえば、今話題のジャパニーズマゲニーズの孫GONGと同じ山科で有名なクルー。
大和狼、バックボーンといえば、当時から大所帯で影響力の強いHIPHOPクルーだったな。
大昔に山科のボロアパートに住んでいたとき、別の後輩が連れてきてくれたのが孫GONGだったのは今でも覚えている。
その時から色んな情報に精通しよく喋る面白い奴だったな。
「おかんがこの辺りに住んでいて・・・」とか『北海道の○○が○○で見つかった理由っていうのが・・・』とかって明るい男だったよ本当に。
僕が最後にステージに立ったのが確か2010年。
それ以降も誘ってくれる珍しい人もいたけれど、断っていくうちに誘われる事はなくなった。
※自分で選んだ道なので後悔なんてものはないので悪しからず。
最後のステージは映像に残している通りだけど、実はこのライブの後に控えていたのがKCYB(KC Young Bloodz)つまりBONG BROSの面々ってわけ。
※ちなみにPAの照明がサボっているほどに少ない動作だが、『言葉を聴かせたい!』などとカッコつけた僕が指定した結果なので罪はない。
フロアの中央辺りでめっちゃ手を挙げてくれているのは、実はPE君。密かに僕はこの人のファンである。
ライブ終わりに袖に掃けていくわけだけど、この時に舞台袖で待っているのは当然ボングブロスのメンバー達である。
IMPのRACYやB-COSMOを筆頭に同世代ながらレジェンドと言われる面々が僕からマイクを受け取るわけ。
そのときに確かダックス君(今はNaughty Daddyって名前かな)が声を掛けてくれたんだけど、その言葉が嬉しくて忘れられない。
『お前めちゃくちゃかっこいいな!』
『ギャランのライブ、初めてちゃんとみたけど良かったよ。』
『持っていかれてやりづらいわ!』
これら全て事実である。
向こうが覚えてない!ってんじゃそれまでだけど、閉鎖的な小さなコミュニティの滋賀と京都のHIPHOP界隈っていうのは簡単に繋がっていくっていう事を伝えたかったわけ。
悲しいかな下手を打った奴が飛んでしまう理由っていうのも・・・・分からなくはないだろう。
※少し休憩に。
たまたまyoutubeで発見したけど、RakimによるCREAMのExclusive Remix。
歌い出しからカッコよすぎたので貼っておく!
Rakimの落ち着いたラップは物腰も含めて本当にカッコええわ。
同世代のBONG BROSが続けている.
これだけで滋賀と京都のHIPHOPの基盤は安定感を保つことができるだろう。
その他のスパイスを僕みたいな奴らが加えていけばもっと活性化する。
スタイルは千差万別でどれが正解ってものはない。
思い立ったあとは継続できるかどうか。
そして世の中に発信し続けていこうじゃないか。
SDGsじゃないけれど、これからの時代『持続可能な』っていうのは大きな大切なテーマである。
発信しなければ誰にも気付いてなんかもらえないしな。
Youtubeへの投稿もかしこまって変に構えてしまっているけど、そういうのも要らないかもしれないな。
今はラフに音源を録音してみたけど、こだわりすぎても始まらないって事。
数をこなせば精度や腕は上がっていくか。
L.S.Gのギャランは変わらず元気にやっている!
今さらブログにラップに発信していく?
やらない奴。やれない奴が吼えているだけ。
遅いなんてことはねぇ。
俺にしか書けないものをいつまでも更新し発信し続けてやるぜ!
ありがとうBONGBROSや縁あった人々!
お互い続けている以上はそのうちまた会うことだろう。
その時は宜しくです。
ギャランでした。
本記事の執筆者は私、ギャランです。
中学受験・高校留年・就職・起業・出戻・結婚・離婚・再婚・愛娘の死・個人民事再生・不妊治療etc...
経験してから我がを知る。
バカは死ななきゃ直らない。なってみやがれこのバカに。
『パパの子どもで良かったな!』
いつまでもこう言われ続ける親父を目指しています。
オリジナルレイクスタとは僕の事。