今日2020年7月16日で、愛娘 梨衣奈が亡くなってから5年が経ちました。
死んだ子の歳を数えるな。という故事ことわざもありますが、タイトルの通り数えています。
この言葉を例えとして使っている人を見たことがない。
もし使っている人がいたとしてもきっと仲良くなれないと思っている。
死んだ子の歳を数えるの意味とは
今さら言ったところでどうにもならない過去のことを後悔することのたとえ。
死んだ子の年を数えるとは、今さら言ってもどうにもならないことを、くよくよと思い煩うことのたとえ。
単に無駄という意味ではなく、どうにもならない悔しさや、悲しさ、わびしさへの共感が含まれています。
といった意味を書き記した記事がたくさん出てきますが、ワケが分からない。
あの時こうしていれば・・・。もっとこうしていたら・・・。
そんな事は考え出した今だってそう思ってしますけど、僕の娘は突然死んだ。
天皇陛下の主治医だろうが救えなかった命という。
現在の医学では解明出来ない。心臓突然死という病に倒れて亡くなってしまったのだ。
生まれてきてわずか1歳半。
人生の楽しみも苦しみも味わうずっと前にこうなってしまった。
YouTubeにその時の気持ちや、お通夜や告別式で皆さんに聞いて頂いた言葉を残しておいた。
→娘を亡くして想う事。
この動画を見て、何かを感じて頂き、温かいお言葉を掛けて下さる人もおられますが、一番は自分に向けたメッセージである。
今の俺・・・・
梨衣奈ちゃんに笑われるような生き方していないかな。
大切な人を失うという気持ちを忘れるなよ。
周りの人に思いやりをもって接しているかい?
今この瞬間を大切にして生きているかい。
精一杯前を向いて笑っているかい?
そういった気持ちを忘れないように、たまに見て気持ちを落ち着かせている。
あれから○○年。あの時からどれだけ成長出来ているのか。カッコいいパパであり続けているのか。そういった事を想い感傷に浸るわけである。
なので必然的に、死んだ子の年の数を数えているわけである。ここにどうにもならない悔しさや悲しさ。そういった意味は含まれていない。
事故や事件に巻き込まれて失ったわけでないから。
そして1歳半という短い生涯だったから、悲しみや怒りより希望に変える事が出来ているのだと思う。
私の友達の子どもも実はさ・・・。
娘が亡くなった当時、このような言葉を掛けてくれる年上の女性がいた。気を使っていってくれたであろうその言葉に怒りを感じたのは忘れない。なので5年経った今でもこうしてブログの記事にしている。見出しまでつけてさ。
僕の気持ちに寄り添うつもりで体験談(むしろ聞いただけの話)を披露してくれたのだが、申し訳ない。
ただただ『だから何?』といった気持ちでありました。
同じような辛い経験をされた方ならまだしも、誰かを亡くす・・・特に我が子を亡くすという事は、それぞれの形や経緯があるもので、全てが現実なのだ。
それを一概に、『子どもを亡くした親の気持ち。』という括りで話されても困ってしまう。
例え同じ死因であったとしても、それまでの関わりや思い出。そういったものは全て人それぞれ別なんだ。
この言葉を投げかけてくれた年上の女性に対して反対に気を使っている僕がいた。
『そうなんですか。それは辛い思いをされてますね。色々ありますもんね。かける言葉が無いですよ。』
全く感情は交わることなく、ただただ気を使った回答をしていた。励まされたわけがない。すまんけど。
ただ教えて貰えた事は、人の生き死に関して聞いた際は、むやみやたらと自分の経験は語ってはいけない。という事だ。
分かっているつもりだけど、おかげで一層身に染みて感じる事が出来たと思う。
もちろん相手が望んでいるのであれば語ればいいと思う。それこそ弔いの席で一献あるのであれば話してもいいと思う。
それを噂話を聞いているレベルと同列に考えてさ。
『それな!私も実はな・・・。』
おかしいよ絶対。訃報だぞ。子どもの死を目の当たりにした人間にかける言葉なんか本来は無いんだよ。
一方で『かける言葉がないわ。ごめん。大変やったな。』
と正直に声を掛けてくれた年上のおじさん。
僕の話をただ頷いて聞いてくれた。
どれが正解かなんてないけれど、学ばせて頂きました。
同じ年の子どもを持つ会社の同僚がいる。
パートで働きに来てくれている女性の子どもが、梨衣奈ちゃんと同い年の女の子だ。
この子に、会社のレクレーションなんかの行事で出会えることがあるが、他の年代の子と違い特別可愛いなと思ってみてしまいます。
『ウチの子も生きていたらこんな感じだったのかな。』なんてね。
各世代で微妙に流行っているものや、話題は違うものだから、この子に会えた時は、そういった事を聞いている。『もう小学校かぁ。一年生やな。大きくなったね!コロナで面白くないけど、楽しい事せなあかんな。また一緒に遊ぼうね。』なんていう具合だ。
この子を見ているとなんだか感慨深い気持ちになれる。
重ねてしまっているだけかもしれないが、これからもこの子の成長を応援していきたいと思う。
つまりまずは、働いてくれているパートのお母さんを大切にしろよ!って話。大事にします。いつもありがとう。
ベネッセの進研ゼミの講座案内が届く。
定期的にこういった書類が届くのだけど、活字でみる梨衣奈という文字が愛おしくて、これが無くなったら寂しいと思い、勝手に配信が止まるまで連絡はしないでおこうと思っている。
『小学校入学特集!』とか『新学期を迎える前に!』とかこういう見出し送られてくる案内。
梨衣奈ちゃんが生きていたら今何年生なのか。
このおかげで間違えることなく数えることが出来ている。小学校か、中学校を卒業するぐらいまで届き続けるのかな。いつか伝えた方が良いのかな。今のところは引き続き案内を送ってもらおうと思っている。
たまに美月がこの案内を見て気になる様子。
『これは梨衣奈ちゃんのだよ。』と教えると、『梨衣奈ちゃんの開けていい?』とか言ってくる。可愛いもんだ。美月は梨衣奈ちゃんの事を『赤ちゃんのおねぇちゃん。』と呼んでくれている。
ペーパーレスのこんな時代になんてことを!そういうのいいから。うるさいから無視するわごめんね。
大切に出来なかったところがある。
この子が生まれて亡くなるまでの間、そして今もなんだけど、大切に出来ていなかった思いや感情、物がいくつもある。
それが身近なものであったとしても、惰性で考えていた。いやむしろ気にも留めずに、雑に扱ってきたところがある。
失ってからから気付く事、大切な何か。
思い当たる節が今なお絶えない。これじゃダサすぎるだろ。更なる進化、発展をしていかなければ、天国にいったときに梨衣奈ちゃんや御先祖様に笑われてしまうよ。
実のところ、不甲斐ない無様な僕を見て、笑っているのは今であって、天国にいく事すら許されないかもしれない・・・このままじゃ・・・。そうなると会えないじゃないか梨衣奈ちゃんや御先祖様によ。もっともっとしっかりしないといけないな。
神様なんていないと思えたあの日。
だけど困った時は神頼み。
お腹が痛い時だってトイレで神頼み。いや紙頼み・・・だからそういうところが罰当たりなんだよ。
もっと真摯にまっすぐちゃんと前向いて笑って生きようと思う。今年はもっと信じる事が必要なのかもしれないな。
死んだ子の年を数えはじめて5年目。今年はこう思った私、梨衣奈パパ ギャランでした。
梨衣奈ちゃん Rest In Pease 安らかに眠れ。合掌。
本記事の執筆者は私、ギャランです。
中学受験・高校留年・就職・起業・出戻・結婚・離婚・再婚・愛娘の死・個人民事再生・不妊治療etc...
経験してから我がを知る。
バカは死ななきゃ直らない。なってみやがれこのバカに。
『パパの子どもで良かったな!』
いつまでもこう言われ続ける親父を目指しています。
オリジナルレイクスタとは僕の事。