捲土重来(けんどちょうらい)という言葉
僕はこの言葉が好きである。
直訳してみれば、「巻き起こった土煙が再びやって来る。」という事で、シンプルに言えば「再チャレンンジせよ!」という事。
具体的に言えば、一度負けたり、敗れたり、失敗したりしてしまった者が、再び勢いを盛り返して巻き返すという事。
つまり敗者であろうが、煮え湯を飲んだ後だろうが、立ち上がってヤマを返すという事である。
自分事でも失敗ばかりの僕。
イチビって言えば反骨心のカタマリ。
とはいうものの、見事にへし折られ続けてきた。
そんな人生。
だけど、どんな目に遭おうが、どんな辛い仕打ちを受けようが何度だって立ち上がってきた。
「今度こそ必ず!」
「次こそは!」
こんな風に立ち直って、仕切り直してきたけれど、そろそろ終わりにしたいと思う。
諦めるとかそういうことではなくて今度こそ、突き抜けてやるぜ!ってこと。
いい加減、ゼロ(どころかマイナス)スタートばかりしてられねぇよ。
何か形にして成果を上げていかなければ、どうせまた誰かに横槍を入れられてオジャンになってしまうのだ。
結局「人のせい」にしているだけだ!などと思われるかもしれないが、そうではない。
確固たるものを創れなかった自分が悪い事は分かっている。
何がいけなかったのか。「捲土重来を期す」為にどうすれば良いのか。
そんなことを考えてみようではないか。
聞き入れる事ができなかった項羽という男
項羽の事は専門的に掘り下げている人のページが為になるのでそちらを参照して頂ければ幸いだが簡単にいうとこんな男。
『天が私を滅ぼすのだ。戦い方の過ちではない』
「項羽は自分のなすべきは覇王の業と考え、武力で天下を征服・管理しようとして、5年間で己の国を滅ぼし、自分自身も死んでしまった。それでも、死ぬ前にもまだ悟らず、自分を責めようとしなかった。」
「項羽の人柄は人に対して謙虚で敬い愛しするため、高潔で礼を好む士が数多くその元に向かう。しかし、功績を立てて土地や爵位を与えることを惜しむため、士はなつくことはない」
「項羽は人を信じることができず、愛し任せるのは、一族か妻の親族だけである。優れた人物がいても用いることができない」
出典:項籍(項羽)ウィキペディア(Wikipedia)より
自分しか信じる事ができず、己に過ちはないと考え、功労者に褒美を与える事もなく、罰則は厳しい。
カリスマ的なリーダーともとれるが、裸の王様といった表現の方が似合う人なのではないだろうか。
最後の最後まで、人の話を聞き入れず、凄惨な最期を遂げたと言われている。
結局は恨みばかりを買ってしまい、誰からも慕われなかったという事だ。
彼の謙虚な気持ちが本心であったならば、このような最期を迎えることもなく、後世で揶揄されることもなかったのではないだろうか。
興味深いエピソードとしては、中国の初代皇帝=始皇帝の行幸(外出する事)を見た際に言った言葉がある。
項羽はこう言ったとされている。
『彼奴に取って代わってやるわ!』
一方で後の好敵手となる劉邦はこう言ったとされている。
『ああ、大丈夫たる者、ああならなくてはいかんな』
この差が分かるだろうか。
僕が自分の事を自己分析するところ、現在は、残念ながら項羽に近い所業、考え方を持ってしまっていると思う。
独りよがりで、口では達者な事を調子よく言ってるものの、本心では悪態ついてるし、時には表に出してしまっている。本当に情けなく思う。
最期が凄惨だったからと結果論で言っているのではなくて、項羽のやり方では、遅かれ早かれ似たような結末を迎えていたと思うんだ。
事情や理由があったにせよ、彼が垓下(がいか)の戦いで敗れた際、烏江亭の長に云われたとされる『捲土重来を期せ』との言葉を聞き入れる事が出来ていたなら・・・歴史は変わっていたのかもしれない。
もちろん聞き入れなかった「事情や理由」こそが、カリスマたる所以ともいえるのだが。
自分の最期がどうなるのかなんて想像もしたくないけれど、このままだと・・・ね。
生き様より死に様だと最近よく思うようになってきている。
この考えが正解かどうなのかなんて分かりゃしない。

歴史から学ぶことができる現代人
過去の事を変える事は出来ないが、過去や歴史を知る事で、この先の事を変える事は少なからでもできると信じている。
歴史は繰り返すとも言われているが、あの時に起きた事を教訓にすれば、乗り越えることだってできるだろう。
同じケースばかりではないけれど、予測する事は可能になる。
僕は、現在、自分の事を磨いているつもり。
つまり精神修行の真っ只中ってわけ。
ならば偉人や英雄の成功や失敗を知り学ぶことだって必要ではないだろうか。
唐突に『捲土重来』という言葉が好きと言ったのだが、この言葉を意識したのは、漫画HEAT -灼熱- から。
石倉という登場人物がいるのだが、ある出来事で下手を打ち失脚してしまった。
しかし彼は、浮かび上がるチャンスをずっと待ち狙っている。
虎視眈々というわけだ。
待ち構えている間、たまの余暇と見たのか実の息子と釣り堀で過ごす石倉。
その際に息子に言われた言葉がこれ。
『捲土重来ってやつだね。』
ここから巻き返しに成功していくのだが、この言葉と併せて自分が重なってしまったというわけ。
石倉のカッコいいシーンは他にもあるので紹介しようと思う。
漫画だからなんだけど、彼がある日、究極の二者択一を迫られていた。
仲間である唐沢の腕を落とすか。敵の腕を落とすかの場面。
当たり前に敵をと思うところだが、人質を取られてしまっている。
刀を振り上げた石倉がとった行動はこうだ。
「振り上げた刀を下ろす事は出来ない。かといって唐沢も敵も切れねぇ。」
自分自身に切っ先を向けて突き刺した石倉。
こんな熱い男がどこにいるのだろうか。
これが義に生き、信念を持った男の行動なのだと、物語に引き込まれていった。
僕は前述の通り、これまで幾度となく似たような過ちを犯し続けていた。
苦い経験をしているにも関わらず、今だ何一つこの手に掴んでいない。
狙っていた目標には到底及ばず頓挫して続けている。
成し遂げたことなんて一つもないのである。
原因があるとすれば、当然自分。
石倉のような信念を持っていたら。
もっと自分に矢を向ける事ができていたならば。
項羽の悪いところはマネしないように。
彼が出来なかった「捲土重来」には理由があるにせよ、その理由を全うせざるをえなくしたのは自分自身に他ならない。
捲土重来を期す為には、人に対する、物腰や対応、態度。
そういったところも見直していかなければならないことは言うまでもない。
何をすればいい。どうすればいい。そんなことを考え、「実践」していこうとようやっとなれてきたところ。
遅すぎるなんてことはない。
今からだって未来は変える事が出来るだろうよ。
少しづつでいいじゃねぇか。
今すぐに究極の選択を迫られているわけではないからこそ、もっと真剣に生きていかなくてはならないのだ。
- 決めた事はやるが無駄な事はやらない。
- 無駄かどうか分からない事はやってみて確かめる。
- 人に言ってもらえたことはきちんと消化する。
- 何者でもない事を自覚する。
成し遂げられなかった人の方が多いとか訳の分からない理屈は今要らない。
ギャランでした。
本記事の執筆者は私、ギャランです。
言わずと知れた芸能人より芸能人。
中学受験・高校留年・就職・起業・出戻・結婚・離婚・再婚・愛娘の死・個人民事再生・不妊治療etc...
経験してから我がを知る。
バカは死ななきゃ直らない。なってみやがれこのバカに。
『パパの子どもで良かったな!』
いつまでもこう言われ続ける親父を目指しています。
オリジナルレイクスタとは僕の事。