個人ブロガーとしてのギャラン
アフィリエイターではなく個人ブロガーとして当生瓶ブログを1年程続けてきた。
2020年の7月5日より毎日連続投稿を志し記録は更新中。
継続は力なりとはいうものの、何か役に立つような事はあったのだろうか。
得たものは知的財産ばかりで、頭でっかちになっているだけのような気がしている今日この頃。
個人ブログを通じて得た経験は、マネタイズなり具現化してこそ意味があるのではなかろうか。
『何々ができるようになった。』とか『このケースはこうだ!』とか知識ばかり身についたところで意味なんてない。
要は個人ブログのおかげで身に付いたものを生かせなければもったいないぞと言う事である。
『ブログの記事更新を一年以上続け、毎日投稿しています!』たってさ、『だから何?』って感じ。
自画自賛して『凄いだろ!』たって他人からみたらマジでどうでもいいもんな。
他人が、自分の功績を自ら称えて『ブログは毎日更新しています。これだけでブロガー全体の何割なんだよ。』とか言ってきてもさ。
『そうなんだ。凄いね。』で終わるのが関の山。
僕自身がこう思うんだから、世間様はもっと厳しいんじゃないかな?
本名こそ今は明かしていないが、ギャランという人間は僕であって演じているわけではない。
ありのままの自分をさらけ出しているのだが、実績や【何か】が無い限り人様に興味や関心を持って頂くことなど不可能だと思う。
個人ブランディング
人様を惹きつける【何か】が圧倒的に足りていない自分に自己嫌悪しているのが現状だ。
だいたい人の事があまり好きになれない人間の事を誰が好きになるというのだろうか。
個人ブランディングとは名ばかりで、ライフスタイルを傍若無人に書き綴っているだけなのだ。
『このままではいけない。』と気だけが逸るが、問題の解決には至っていない。
続けていればイイ時代はとうの昔に終わっているのである。
先行者利益が得られているうちにすっとのし上がったならともかく、魅力の無い人間が後発で魅力を発信しているつもりで『どうにかなる。』などと思っているのは、身の程知らずもいいところだ。
圧倒的な作業量をこなしたところで、『知らねぇし。』
ラッパーとして『唄ってます。』たって世間様に届かなければ意味などない。
それに、例え世間様に届いたところで、中身が伴ってなかったらカスのレベルが引き上げられるだけ。
一発屋で終わらないように・・・どころか一発屋にすらなれていないカスはもっと頭使って行動しろって話である。
マーケティングを基礎から学び直してどうにかせないかん。
必要なところに必要な情報を提供してようやく評価され始めて価値が出てくるもの。
とはいうもののどれだけ有益な情報を出していこうが、よほど関心を抱かない限り、サイトの運営者の事などどうでもいいのである。
インターネット上で、調べものをしていて『これは!』と素晴らしい情報を得られたとしても、必要なのはその情報【だけ】なのである。
では、運営者の事が気になったり、覚えたりするのは、どういった場合か?
第一は、調べものの答えに対して【何度も】素晴らしい情報を提供している人に限る。
ブロガーやアフィリエイターを志している人間は、始めるにあたり情報を収集する。
それこそネットサーフィンをしながら、膨大の情報を入手していくわけだが、何度も出てくるあの人やあの会社のWEBサイト。
この繰り返しでようやく認知され始めるというわけである。
アフィリエイトやブログの先生方が、『トピックやカテゴリーを絞った特化型のサイトにせよ!』とこぞって言っておられのはこういう理由からなのである。
僕はしていないが、例えば京都の旨い料理屋を実際に巡り回って沢山の記事を執筆してみよう。
地方のグルメな人たちが京都に訪れる際には、【旨い飯屋】や【京都 隠れ家】もっと言えば【お店の名前】なんかで検索をするだろう。
こういった検索をしたところで、何度も同じサイトが出てきて、【尚且つ自分の舌と合う。】となれば・・・いよいよ運営者の事が気になるだろう。
『この運営者のサイトを見たら旬な旨い店を知る事が出来る。』こうなって始めて個人ブランディングのスタート台に立つことが出来るのではなかろうか。
僕はというと・・・・ただただ雑多に、日々の所感を書き連ねているだけ。
ブログサイトの方向性など皆無なのである。
こんな調子で個人ブランディングなどと大それたことを言ってんじゃねぇよな。
記事を投稿しただけで、ブログにたくさんの人が訪れるのなんていうのは、ほんの一部の有名人に限ってだけの話なのである。
何も持っていない自分がどうやって露出していくのか・・・トライ&エラーを繰り返して突破するしか方法はない。
何も考えずに突破することなど、よほどのラッキーが起きない限りまず無理な話なのである。

振り返ってみる過去記事
過去に投稿した記事をたまに振り返るのだが、赤面する事も多い。
かといって記事を削除するような真似はしない。
修正こそ稀に施すものの、一度ドロップした記事を消すなど、僕は違うと思っているからだ。
『整理して今は何記事になりました。』とか『アクセスを増やすには過去記事の精査を・・・。』とかはしない。
この過去記事が足かせとなることもそのうちにやってくるかもしれないが、全部背負って生きていくつもりだ。
取り組んでいる新しい【物販・アフィリエイトサイト】が軌道に乗り始めたら、おのずと僕も前のめりになるだろう。
このブログでも正体を明かして『僕が運営しています!』ってなるかもしれない。
もっといえば、イチイチ僕が正体を明かさなくとも、紐づける人たちが現れることだろう。
そうなれば、過去記事を掘り返して言及してくる人は必ず登場するというわけだ。
その時に(なんか言われている。)と無視できるのか、構っていくのか・・・そんな事も頭に入れて当生瓶ブログを運営する必要が・・・あるのかな。
自由気ままに綴っていきたい気持ちと個人ブランディングに特化するべしと思う気持ちが葛藤する今日この頃。
その度には、『そんな事ばかりを考えていないで、ありのままの自分を受け入れてもらう事を目指そうぜ!』って言い聞かせる自分。
設定上【未来から来た】自分が自自身に言っているの事は、『とにかくやろうぜ!』だったけれど、今は『やるにしても、やり方を見直しながらだぞ!』と言っているというわけだ。
どれが正解で不正解なのかは全く分からないけれど、自分の信じる道が全てとは言わないが、自分の信じる道だからこそ真っ直ぐ歩めるというもの。
真っ直ぐ生きた結果どうなるのか・・・変わらず一歩ずつ進んでいくしか方法はないかもしれないな。
結局方向性は分からぬまま。
ただ一つ言えることは、『雑記ブロガーのままでは終われない。』ってことなのである。
うーむ。
ギャランでした。
本記事の執筆者は私、ギャランです。
言わずと知れた芸能人より芸能人。
中学受験・高校留年・就職・起業・出戻・結婚・離婚・再婚・愛娘の死・個人民事再生・不妊治療etc...
経験してから我がを知る。
バカは死ななきゃ直らない。なってみやがれこのバカに。
『パパの子どもで良かったな!』
いつまでもこう言われ続ける親父を目指しています。
オリジナルレイクスタとは僕の事。